2017年10月8日日曜日

知らない我が家の見なれないモノ

突然ですが、お父さんもお母さんも月一のデートで不在です。
なので、我が家の平和はお姉ちゃんが守ります!という以下のシーン。

The Loud House : No Guts, No Gloriより(南米版)(*1)


Sergantなオシャレまでして気合充分。
長女のLoriちゃん(17才)がきゃわわですが、That's not Today's Subject。
こちらの矢印に注目!


これ、何だと思いますか?というのが、今日のお題。
とりあえず、今夜を平和に生き抜くために守るべきルールが記載されています。
ほぼベッドの上で拘束予定なのが熱い。
CHOWてのが耳慣れないワードですが「飯。」みたいに訳せばしっくりくるかと。
眠りにつくまで壁を見つめるって、いいセンスしてるね。

でも、この記載内容も、今日のお題とは関係がありません。
問題はこのモノの存在そのもの。
初めての人の家では家具をチェックしがちらしいですが(*2)
たしかに見なれぬモノが気になります。

そう、いったい、なぜ黒板なのか?
すっごくギモンです。
黒板というのは一般に学校に生息してるべきもので
自宅で自生なぞしません。

学校に生息してるケース


理解不能だったので、当時の私は以下のように辻褄を合わせました。
※文芸では歓迎される行為ですが、インフラエンジニアには
 許されないことも多いです。気を付けましょう。

①このシーンは、両親不在時に、長女が家長権を不当なレベルで行使する様を
 フルメタル・ジャケットのように描くことで風刺したもの。

②風刺であるために、描写には説得力と綻びが求められる。
③このケースでは、身近で「それらしく見える」モノを集めることで
 その両方を獲得しようとしているように思える。
 例えばLoriのSergantな服装は、身近で「それらしく見える」モノの寄せ集めでしかない。
④黒板が選ばれた理由は、想定する視聴者の年齢が小学校低学年だからだ。
 彼らがイメージする権力のモデルとして適切で、おまけに身近だ。
⑤身近で「それらしく見える」モノを集めたことで
 「権力が行使されている」ことの説得力を高めると同時に
 「実際には同じ立場の人間」でしかないという綻びを表現している。
⑥だから笑える。QED。

てなわけで、問題解決されていたわけですが、
私がWhat Remains of Edith Finchをプレイしたことにより
ある事件が起こります。
次々と奇妙な形で死んでいくFinch Familyの死を
実家で思い出を辿りながら一つずつ追体験していくという
Walking Simulator(日本で言うアドベンチャー)ですが、
Gus(1969-1982)/Gregory(1976-1977)の部屋で
こんなものを見つけてしまいました。


なんということでしょう、黒板です。
Lori's Rulesよろしくタイムスケジュールの記載まであります。

これが事件の全容で、先ほどの④には修正が必要になります。
北米のお茶の間に黒板が普及している可能性があり
そこに子供の予定を書き込む習慣すらもあるなら
きゃわわに磨きがかかります。
学校が権力のモデルとかは関係無しに
家のものをかき集めて「それらしく見える」よう
チープでキッチュなオシャレをしていたってわけです!

なんてキュートな再発見なんだ。俺、珍しく他人のためになってる。
FinchとLoudを比べていくと、他にも気になるモノがあります。

What Remains of Edith Finch : Edith(1999-)のクラスルームでの思い出
>"Our Family History"


The Loud House : Project Loud Houseより
>"Our class assignment is to do a report on our families"


北米の小学校って、そんなにも家族の紹介をさせたいのだろうか?
とにかくThe Loud Houseには
私たちの知らない「我が家」の風俗がまだ隠されていそうだ。
実際、Leniちゃん(16才)が運転免許試験を受けたり
Lunaちゃん(15才)の言葉はロックミュージックの玉手箱だったりします。

しかし金田一さん、まだ事件です。
プロデューサのChris Savinoは1971年生まれのおっさんで
この物語は彼の育った家庭を元に作られ、家なんかクリソツときています。

左上がChris Savinoが子供時代を過ごした家
忠実ならばいいのでは?君はそう思うかもしれない。
しかし、問題は何に忠実であるかだ。
パイロット版が作られた2014年か、それとも彼がLincolnと同じ
11才の少年であった1982年の頃か。

The Loud Houseのような作品を通じて、僕らはアメリカのファミリーを想像する。
スマートフォンに夢中なLoriちゃんの姿は現代的かもしれない。
でも、黒板なんて今どきあるのだろうか?
面白い偶然の一致を指摘しておくなら、
Finch家のGus/GuregoryとChrisは同じ頃に同じように子供だ。
そもそも11人兄弟なんてのがアメリカ規模で考えればファンタジー
つまり、この作品で描かれているのは、アメリカにとって
まったくの夢物語だってこと。

奇妙なノスタルジーを感じるのはこのせい。
今のアメリカを表しこそしないが、この感傷には説得力がある。
古いアートスタイルが映し出すからじゃない。アメリカの記憶でもない。
Chrisの思い出に依って立つ、思い出だけの我が家。
Chrisだけが知っていた世界だ。

*1 : Latino声優は萌え系ボイス多めな気がしてます。私だけ?
*2 : データによるブレが半端ないので、とっても胡散臭いですね:)